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2011年09月27日

ボクの修行時代 その2

鰻屋の店長Sさんとの面接は簡単に終え、一発採用と決まった。持参した履歴書の資格の欄に、ペン字4級、英検4級と一緒に書いておいた、「原動機付自転車免許有り」 が決め手になったようだ。そしてその日から出前された器の回収、洗い物、そして出前を担当することになった。驚いたのはここのまかない(食事)だ。親元離れて欠食気味とはいえ、ここのご飯(ギンシャリ)はうまかった。「ササニシキの一番いいやつだからな。鰻屋はいい米使うんだよ。」 と、Sさんはやさしく笑いながら教えてくれた。

のちに(現在も)ボクの東京のおっかさんとなる、パートのおばさんYさんには公私ともに助けられた。「しょうがないねえ、欠食児童なんだから。おかずはまだないよ。」 と言いながら作ってくれた味噌をつけただけの握りめしのうまかったこと。休みの日でもこのYさんの家に転がり込み、そこの子供たちと一緒に食べさせてもらっていた。この店はSさんが一人で鰻を仕込み、Yさんが接客と経理、そしてボクが出前と洗い物担当の3人体制だったので、家族の一員として迎えられた感じで、厳しい修行とはまったく縁がない生活がはじまった。

この鰻屋 「M川」 のM社長は、軍隊あがりの巨漢で柔道6段の猛者。普段店にはあまり顔を出さないが、会うといつもやさしく声をかけてくださった。自分で立ち上げ、成功していた電気会社を若くして仲間に禅譲した後、いくつか立ち上げた商売には失敗したそうだが、どういういきさつだか始めた鰻屋がうまくいったそうだ。

ボクが入ったのは吉祥寺の本店だが、駅前のアーケード街に串売り専門の店、そして武蔵境にも支店があり、当時はどこも忙しかった。身贔屓の点を差し引いても、ここの鰻はおいしかったと思う。歴史は浅いが、M社長が最初に技術指導のために引っぱってきた職人Kさんの腕が確かだったこと。そして店長のSさん、境南店店長のHさんはM社長の電気会社をともに脱サラした同期の仲良しだが、この二人のライバル意識が、Kさんの技術をしっかり学び、正確に再現しつづけていたのではないかと思う。

そしてとある日、串売り店で仕事をしていたM社長が腰を痛めたために、ピンチヒッターとして派遣された日から、ボクのちょっとした修行が始まることになるのだ。

投稿者 sushitomi : 2011年09月27日 00:05

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